「ふつう」研究

研究テーマ

研究の背景と目的

心理学では、人間は誰であっても他者とは異なるユニークな存在でありたいという欲求を持つことが指摘されています。たとえば独自性欲求理論では、自分が多くの他者ととても似ていると感じると、ネガティブな感情が生まれ、そのネガティブな感情を低減・解消するために何らかの考えや行動をとろうとするとされます。たとえば、多くの他者と非常に似ているという情報が与えられると、不快な情動を報告したり新奇な経験をしてみようという気持ちが強くなったりすることが指摘されています。ここでいう独自性とは異常と捉えられるような極端な逸脱ではなく、社会的に受容される適度な差異であると考えられます。つまり、独自性欲求とは、他者とポジティブな意味で異なっていると感じることで自尊心を維持しようとする傾向であるといえます。
一方で日本人論や比較文化論では、欧米とは異なる「日本人的な」特質が繰り返し指摘されてきました。日本人は対人関係において相互依存的であり、他者との関係性や調和を重視するため、周囲の人々の様子や反応を常に気にし、個性的で独自な存在であることよりも他者と変わらず同じであることを好む傾向があるとされています(阿部,2002;溝口,1982;荒木,1973;土居,1971など)。実際に日本人の独自性欲求は低いことが知られており、日本人には「ふつう」であることを求める動機があることを仮定する心理学者もいます。
しかし、実証的な研究は少なく、自分が「ふつう」であると感じることが日本人にとって好ましい状態であるという事実を示すような実証データは必ずしも多くはありませんでした。いくつかの研究ではむしろ日本人にとって「ふつう」であることがポジティブな状況ではないことが示唆されていて、自分が全般的に「ふつう」であると感じることはウェル・ビーイングを低下させる傾向にあり、性格や意見が他者と酷似しているという情報は不安や緊張を高めることが示されています。自分が「ふつう」であることのよさを限定的に示す研究もあります。たとえば独自性欲求が低い人にとっては自分が「ふつう」であると認知することが孤独感を抑制したり、「ふつう」であるということに価値を置いている人にとっては自分が「ふつう」であると認知することが自分への好意を高めるといった研究があります。自分が「ふつう」であることが適応的であることを示す研究としては、具体的な課題の成績について他者と同等(「ふつう」)以上であるとフィードバックした場合に成績の納得感や満足感が高く、ポジティブな感情(「愉快」)が高まりネガティブな感情(「沈鬱」や「焦燥」)が低くなることが示されています。このように実証研究の結果は必ずしも一貫しておらず、日本人にとって「ふつう」であることがよい心理状態であるかどうかについては明確な結論が得られていませんでした。しかし、これらの研究の共通点や相異点を分析する中で、一般的な他者と比較した全般的な自己認知としての「ふつう」はよい状態ではないのに対して、周囲の他者との具体的な比較が生じる場面での「ふつう」は感情状態に影響を与える可能性があるという気づきに至ることができました。
そのような問題意識から、私たちの研究グループでは「ふつう」という概念に興味をもち、特に他者と比べて違っていないという意味での「ふつう」を中心にさまざまな角度から検討をおこなってきました。特に主要な研究となるのは、具体的な社会的比較場面を提示した上で成績の情報を与えて、そのときの感情状態などを測定する研究となります。

日常概念としての「ふつう」

私たちは日頃何気なく「ふつう」という言葉を口にしています。実際、自分や他者のことを記述したり出来事を評価したりする際に「ふつう」という言葉を使用する頻度は非常に高いでしょう。たとえば日常会話の中で、常識や自己の考えを主張するときに「ふつう(の人)は…だ」とか「ふつうはそんなことしない」などといったような発言を耳にする機会は多くあります。辞書によれば、「ふつう」とは「他と変わっていないさま」や「ごくあたりまえなさま」を表す言葉(旺文社『国語辞典』)であるとされますが、日本語における「ふつう」という概念は幅広い様態を表します。「ふつう」という言葉を英訳するとき、「ふつう」に対応する英単語は「通常の」という意味でusualやordinary、commonといった言葉が充てられることが多いですが、このほかにも「一般の」という意味でgeneral、「常態の」という意味でnormal、「平均の」という意味でaverage、「大きさや成分などがふつう」という意味でのregularなどが充てられる場合もあります(旺文社『サンライズ和英辞典』)。このように、日本語における「ふつう」は欧米の概念とは必ずしも一対一対応するものではなく、非常に広範な様態に適用可能な言葉であるといえます。
(なおデジタル大辞泉には「普通に」の用法として、2000年代から「普通においしい」「普通におもしろかった」のように肯定的な表現との組み合わせで称賛するほどではないが期待以上の結果だったという意味合いで用いられるようになったことが取り上げられています。「ふつう」という言葉をめぐる新しいトピックといえるでしょう。)

「ふつう」という概念がわれわれの意識の中で重要であることを示す証左のひとつは、「ふつう」をめぐることわざや言い回しが多くあることでしょう。日本語では「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、これは才能があって頭角を現わしたり目立ったことをすると、他人から疎まれたり妨害したりされやすいということを表わすことわざです。ただし、このような意味のことわざは日本に限ったものではなく世界中に存在しています。中国語には元になったであろう「枪打出头鸟」(出る杭は打たれる)ということわざがありますし、韓国語にも同様の「모난 돌이 정 맞는다」(目立つ石はのみで打たれる)ということわざがあります。西アジアのトルコ語にも「Al elmaya taş atan çok olur」(赤いりんごに石を投げる者は多い)ということわざがあるそうです。欧米でも、英語では「A tall tree catches much wind」(高木は風を多く受ける)、ドイツ語でも「Je höher der Baum, desto näher der Blitz」(高い木ほど稲妻に近い)、フランス語には「On ne jette des pierres qu'a l'arbre charge de fruits」(果実の実った木にだけ石は投げられる)ということわざがあり、これに類することわざは、ペルシャ語やクルド族、アルメニア・クロアチア語、ルーマニア語、チェチェン語などにもあるそうです。より直接的な表現で、英語には「Envy is the companion of honour」(嫉妬は名声の伴侶)、フランス語には「Pour vivre heureux, vivons caches」(幸せに生きるためには隠れて生きよう)ということわざがあります。さらに、イギリス圏では「Tall Poppy Syndrome」という言葉があり、周囲より目立つ人や成功した人が、嫉妬や反感から貶められる傾向があることを指します。これらのことわざは他者より抜きん出て目立つことによって非難されたり攻撃されたりするリスクが高いことへの警句であるといえます。
一方で多くは在りませんが、他者とは違う目立つ行動をとることで得をするという意味のことわざも存在します。たとえば英語では「軋む車輪は油をさしてもらえる」(The squeaking wheel gets the grease)ということわざがあります。また、韓国語では「泣く子はもうひとつ餅をもらえる」(우는 아이 떡 하나 더 준다)ということわざがあるそうです。これらはたとえ悪目立ちであっても他者にアピールすることにメリットがあることを言い表したことわざです。
なお、これらの言葉の使われ方は国や地域、あるいは文脈によっても異なる可能性があります。文字通り「目立たない方が幸せに生きられる」という意味で用いられていることが多いかもしれませんが、「目立つ人物を攻撃するべきでない」という諫言として用いられる場合もあるでしょうし、場合によっては「(良い意味でも悪い意味でも)攻撃されるくらい目立つべき」という含意をもって用いられることもあるかもしれません。いずれにせよ、私たちの社会生活において他者と比較することが大きな意味をもっているという点については多くの文化に共通しています。少なくとも「ふつう」の範疇に収まっているかそこから外れて目立っているかということが、社会行動を判断する際の重要な基準となっているようです。

哲学では古くから「中庸」という概念が論考されてきました。
古代ギリシアの哲学者アリストテレス(B.C.384-322)は、あらゆる人間活動の究極的な目的は幸福(エウダイモニア)であり、中庸(メソテース μεσότης)と呼ばれる倫理的な卓越性(徳)によってもたらされると説きました。中庸とは過剰と不足との中間のことですが、数学的な中点を指すのではなくわれわれとの関係においてちょうどよい中間を指し、知慮に基づいて選択されるべきものであるとされます。戦いにおける死を例にとれば、過剰に恐怖し平常心が欠如しているのは怯懦者であり、逆に恐怖心が不足し平然とし過ぎている者は無謀とみなされ、その中間にあってしかるべき目的のためには死を恐れない者が勇敢であるとされます。倫理的な卓越性(徳)とは、中庸を目指しその実現を可能とするような人間の性状であり、過剰と不足とを避ける行為の習慣化によってもたらされます。なお、アリストテレスの倫理に関する考えは、庶子とされるニコマコスらが編集したとされる『ニコマコス倫理学』や弟子であるロドスのエウデモスが編集したとされる『エウデモス倫理学』に記されています。
中国の思想家孔子(B.C.552/551-479)とその高弟の言動を弟子がまとめた『論語』には、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」とあり、中庸が最高の価値がある徳として賛嘆されています。ただし、直後に「民すくなきこと久し」ともあり、実際に実践することが難しい道徳であることも示されています。また子思の作(諸説あり)とされる『中庸』には、「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中る、これを和と謂う」とあり、感情が生じる前の過不足や偏りのない状態が中、感情が生じた後の節度にかなっていて乱れがなく調和した状態が和であるとされます。このように中庸は両端を考慮した上で状況に応じた調和のとれた判断をすることで、極端になり過ぎないほどよい中間を守っていく徳であるとされます。
直接的な影響関係は確認されていませんが、孔子とアリストテレスの考えには共通点があります。いずれも過不足がなく極端に偏ることのない中間であること、数学的な中点ではなく状況に応じたほどよい適切さを強調すること、思慮に基づく行動の繰り返しにより形成される人格的な徳であること、人間関係や社会秩序に資するものであることなどです。
古代ローマ時代のラテン文学黄金期の詩人ホラティウス(Quintus Horatius Flaccus)(BC65~8)は、その詩中で逃れられない死の定めについて、また人生の無常について繰り返し説きました。富や権力への過度の欲望に囚われるべきではなく、今ある質素な暮らしに満足して「今日この日を楽しめ(Carpe diem)」という、いわゆる「黄金の中庸(aurea mediocritās)」を説いています。ホラティウスの考えは『カルミナ』や『風刺詩』などの詩集の中に繰り返しみてとることができます。
ホラティウスも極端を避けてほどよい中間であることを賞賛していますが、富や権力への執着を戒める側面が強く、平穏で安定した人生に満足することが幸福につながるという美学としての処世術を示しているといえます。このように、古典の中にもみられる「中庸」の概念の特徴は、人間が行動する上での判断に関わるものでありながら、明確な基準ではなくほどよい適切な範囲を表わしていることです。この点は現代にも通じる部分があり、「ふつう」を研究する上でも重要な視点です。

関連するトピックス

「ふつう」を考える上で関連するトピックスです。これから研究を展開を考えているテーマも含まれます。
これまでは質問紙研究が中心でしたが、本人が意識的に認識していない部分での測定にも関心を持っています。たとえば潜在連合テスト(Implicit Association Test: IAT)は自分では意識できない潜在的態度を測定する手法です。言葉の分類作業の速度を指標として概念同士がどの程度強い結びつきをもって表象されているかを推定することができるとされています。このような測定も試みてみたいと考えています。
生理指標を用いた研究も検討しています。血圧については、他者の存在や他者からの評価が心臓血管系に大きく影響を及ぼすことが知られています。また内分泌系については、外から与えられた刺激が快と認知された場合、視床下部-下垂体前葉-副腎皮質系の反応によるノルエピネフリンの減少が内分泌系に反映され、唾液中のαアミラーゼ値が低下することが示されており、外から与えられた刺激が不快と認知された場合には交感神経が興奮し、副腎髄質からノルエピネフリンが分泌され、唾液中のαアミラーゼ値が増加することが示されています。一方で表情については、快感情では大頬骨筋や眼輪筋の活動が増加します。怒りでは皺眉筋や鼻根筋が収縮し、悲しみでは前頭筋や眉毛下制筋、口角下制筋が活動することが知られています。このような反応をもとに、これまで質問紙研究で繰り返し示されてきた「ふつう」認知と感情の関連について、生理学的な検証がおこなえればと考えています。
もちろん神経生理学的基盤についても関心を持っています。認知的抑制に関連する背外側前頭前野(dlPFC)の機能を抑制すると、社会の決まりやルールを守らなくなることが示されています。一方、他者から拒絶されたことによる社会的痛みは、認知的ズレのモニターとして機能する前帯状皮質背側(dACC)の働きと関連し、否定的感情や不安をもたらすことも示されています。自閉スペクトラム症(ASD)では他者の視点を想像する、雰囲気を察する、暗黙の了解を察知す、行間を読むといった対人関係スキルにを苦手とすることが知られており、ここにも「ふつう」を認知する上神経生理学的基盤のヒントがあるように思われます。これらのプロセスが「ふつう」認知と感情や行動との関連を説明する神経生理学的基盤であると仮説しており、fMRI(機能的磁気共鳴画像)などを利用した研究がおこなえるような環境を模索しています。
自然言語テキストの構造化されたデータベースであるコーパスを利用した言語社会心理学的研究も魅力的な研究資料だと考えています。「ふつう」という言葉を中心としたn-gramの分析やテキスト・マイニング、AIを用いたセンチメント値の分析など、さまざまな研究の可能性があると感じています。
数理的なアプローチも有用な視点を与えてくれます。たとえばBoidsモデルはCG研究者のクレイグ・レイノルズが開発した群れの行動を再現するアルゴリズムです。各個体が分離(separation)、整列(alignment)、結合(cohesion)という3つのシンプルな局所ルールに従うだけで、群体としての複雑な振る舞いが創発されることが示されています。改良されたアルゴリズムが映画やアニメーションに応用されており、人間や動物の群集行動を自然に表現するために利用されています。このモデルを「ふつう」をめぐる感情や行動の研究に応用できないか検討しています。

Boidsモデルのシミュレーション
私たちの研究グループではさまざまな研究テーマや研究手法に興味をもっていますが、メンバーだけでは実施が困難な研究計画もあるので、関心を共有していただける組織や研究者との共同研究や研究へのサポートを歓迎します。少しでもご関心があれば、是非ともご連絡ください。

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